心が楽になりますように
2012年 05月 21日
青陵大学で発達障がいの講座があったので、参加してきました。
講師は増澤先生という、山元加津子さんの講演会に参加して頂いたご縁のある方です。
かっこちゃんが大好きで、お話し広報大使もされています。
なのでどんな視点から発達障がいを捉えてお話しされるのか興味もあり参加したのでした。
本にしても、他の講演にしても、難しい学術的なことは述べられていても、う~ん…わかってないよ!と思うことがあります。
今日の講演は、私がもう何年もの間に息子との生活の中で気付いたこと、学んだこと等が、先生の考え方の核となった、とても受け入れやすいものでした。
心で目に見えない部分もよく理解されているのだと思います。
こういう先生は貴重です。
さすがかっこちゃん好き(笑)
先生のお話しで、時間空間ドームという図解を使ってお話しされていました。
子どもが混乱状態にある時、周囲は関わろとするあまり、隣にある自分のドームのフロントグラスにひっつき状態になって、子どもに干渉したりするため、互いに混乱状態に陥ります。
そんな時は、自分の中心にいるよう心がけることが大事だと言われていました。
それには自分の身体の感覚、湧いてくる感情に耳を傾けること。
それを手掛かりに子どもの状態を推測することができ、自分の感じを伝えることが、子どもの気持ちに結びつくことがあるということでした。
最近のたねの始めに自分の今感じている気持ちや状態を話して下さいと言っていますが、たねという場を使ってそんなところから始めて下さいね。
講演の後、当事者の方々のお話しもありました。
前に座っている当事者のおひとりの速く、鋭い目の動きに、私としては意識が向いていました。
他者と視線を合わせられないと、自閉症の特徴として言われるところですが、合わせられないというよりも、素早い目の動きで他者を観察しているため、周囲が気付かないだけなのだと、何かの本で読んだことがあります。
その方もそうなのかと思っていましたが、お話しによると、記憶できないなどのいくつかある障がいのうち、人の顔が認識できないということでした。
客席側に座る私たち大勢の顔は、目の部分のみの認識、又はのっぺらぼうのような顔としてしか認識できないのだそうです。
人と対面する時は睨み付けるよう鋭い目つきになってしまうそうで、私が始めから気になっていたことの理由がわかりました。
詳しくは語りませんでしたが、母親からの虐待を受けて壮絶な子ども時代を過ごしてきたようです。
この方の場合は、家にいるより学校にいる方が安全だったので、不登校、引きこもりにはならなかったそうです。
発達障がいのみなさん、見た目には何ら障害と名のつくことが想像できません。
五体不満足の著者である乙武洋匡さんは、「障害は不便であるが、不幸ではない」と言われていますが、その当事者のおひとりに言わせれば、乙武さんの言葉を引用しつつ述べるならば、「発達障害は不便であり、不幸である。しかしそれは罪でも恥でもない」と言いたいと話されていました。
表現は不適切かもしれませんが、目に見えてわかるものと、わからないものの、周囲の受け入れ方の違いを表していると思います。
この方のお話しは、とても胸に迫るものがありました。
ただひとつ言わせてもらうなら、虐待という経験のせいでしょうが、人生、生きることか「戦い」と捉えて生きてきたし、未だにそのように捉えて生きているようでした。
少しでも心が楽になることを願っています。
今日はたねのみなさんも数名参加されていました。
機会があれば、みなでシェアしていきたいですね。
by egaonotane
| 2012-05-21 01:40
| 不登校/引きこもり