弱いところから
2010年 11月 26日
まずは昨日の続きということで。
『父母の役に「熱心」なのは子ども達にも迷惑だし、「熱心」になればなるほど自らも苦しくなっていく。
完璧な家族ほど家族的な場を持たない。
むしろ家族として要件がどこか欠落している方が素直であり、面倒を見られるべき、「弱い」存在や社会的に不適合と言われるような人が共鳴の中心になる。
家族をバランスするのは何らかの欠落や「弱者」である。
隙のない家族よりは隙だらけの家族の方が楽だし、キチッとした親よりいい加減な親の方が楽で、問題児がいたり困った問題がある方がよい。
少なくとも、社会的に不適合な人を家族の「救い」と見られるということは、共鳴的な場を生み出す鍵となる。』
(「整体。共鳴から始まる」より)
少し表現が極端なところは、書き換えて紹介させていただきました。
昨年上映会を共催させていただいた「えにしや」さんの清水義晴さんも次のように言われています。
「変革は、弱いところ、小さいところ、遠いところから」
昨日から長々と参考としてご紹介した理由は、全て同じことを言っているのだと気付いたからです。
息子とのこの数年の間には、正直に言えば、息子がいなければどんなに私の人生は楽だろう。
うまく機能しない夫と息子の関係からは、夫がいなければどんなに心がスッキリするだろう。
なんてことが頭をよぎることがありました。
でも息子の存在は、きっと自分自身と向き合う時間をくれたものだったし、夫がいなかったからといって、今度は息子との関係や息子の状況が変わるかと言えばそうとは言い切れない。
蟻の話のように、人間社会でもあまり働かない人がいるからこそ、猛烈に働く人が現れる。
その逆も言うことができ、それぞれの役割というものがあるということを、忘れてはいけないと思うのです。
障がいだとか、学校に行かないとか、社会的には不適合と思われる人たちが、その役割を以て生まれてきてくれていることの有り難さ。
かっこちゃんの言うように全てが本当に必要で大切な存在であるということに視点を向ければ、自分の子どもが、世間一般の価値観で言う問題とみなすことが何て意味のないことであるかがわかると思います。
家族間の変革も弱いところに目を向けた時、それを受け入れた時に、少しづつ始まるのかも知れません。
そうは言っても難しいよね|(-_-)|
最後にとってつけのようで申し訳ないのですが…
本日笑顔のたね開催日です♪
お待ちしています!
アロマ講座に参加のみなさん、ありがとうございました(o^o^o)
by egaonotane
| 2010-11-26 01:18
| 不登校/引きこもり