どちらが先?
2010年 12月 24日
葉を落とした桜の木は、すでに春の準備を始めてました。
昨日は偶然にも、以前息子さんが不登校だったという、人生上も先輩の方との出会いがありました。
小2から不登校でほとんど勉強もしていなかったのに、本人が必要を感じ勉強し高校にも進学し、現在は社会人としてお勤めしているそうです。
それまでの間、その方も息子さんにいろいろな事を言われたり、物を壊されたりとご苦労をされてきたそうです。
他県にお住まいがあった頃のことで、当時は親の会に参加され、皆と共感しあいながらご自身は乗り越えてこられたそうです。
やはり、毎日が子どものことだけになるのではなく楽しむこと、自分の人生を大切にすることが必要だと言われてました。
それには親の会の存在は本当に有難かったのだそうです。
お子さんがご自身を大人にしてくれたという言葉に、私もうなずいてました。
そしてその方のお話しでとても心に響いたことがあります。
「もし、息子が親の年金で暮らさせてくれと言ってきても、よしよしそうしていいよと言いますね」
もちろん今現在息子さんはお勤めもされているわけで、そんなことはないと思いますし、決して子どもの言いなりになるような方ではありません。
では何なのか?
長く苦しい経験の中で息子さんと共に生き、息子さんの全てをまるごと認め、受け入れることができたから言える言葉だと私には思えました。
現実はそんなに甘いもんじゃないと思う方の方が多いでしょうね。
実際親の年金を当てにして…なんて事件もニュースではよく耳にすることだし。
そうなってから子どもを認め受け入れろ、信じろと言ってもそれは不可能に等しいわけで。
だからこそ、子どもが迷い苦しんでいる今、向き合い別の景色を見るのではなく、横に並んで、ふと目に入る日常の中に在る同じ景色を共に見ていくことが必要だと思います。
親の年金で生活なんてとんでもない!
息子もそんな事になったらどうしましょ!
多分その方のお話しを聴く前の私の気持ちだと思います。
そんな考え方もありなんだ!( ̄□ ̄;)!!
そう感じた時、まだまだ常識というものをはずせていない自分に気付きました。
絶えずこれは良い悪いと頭の中で仕分けているから、自分が苦しくなる。
苦しいものにしているのは自分とも言えます。
目の前に突き付けられた子どもの現実を悪いものだと決めつけているから苦しくて、子どもも同じように自分の現実を否定して前には進めないと思います。
未来のことだって、自分の受け入れ方できっと変化するのだと思います。
鶏と卵はどちらが先か?という話しではないけれど、信じるから変わるのか?
変わるから信じられるのか?(・・?)
私は前者だと最近思うようになりました。
みなさんはどちらを選択するのでしょうか?
by egaonotane
| 2010-12-24 01:06
| 不登校/引きこもり