自分自身の見方
2011年 04月 03日
言葉というものは、意思の伝達や表現をするためには、とても便利なものです。
その反面、制限をし、限定をしてしまうものだとも思います。
車の中で聞いていたラジオで、ふと耳にし気になった言葉。
地震を封じ込め…
目に見えぬ放射能という敵と戦い…
被災地視察に行かれた首相の言葉だとか。
(違かったらごめんなさい)
私達人間には地震を封じ込めるなんてことはできません。
放射能という「敵と戦う」というのも、何だか違うような。
長いことその「敵」というものにお世話になってきたのではないのでしょうか。
もちろん被災地の方や、大変な作業をしてくれている方達がそのような思われているとしたら、その気持ちは理解できます。
でも国の指揮をとる方が、そのような捉え方しかされていないとしたら、悲しい思いがします。
人の思いが現実をつくるとしたら、首相の発した言葉のように、言葉の持つ制限や限定を与えるという側面によって、全ては悪いものと、みなの意識に働きかけ、不安や恐怖から益々悪い現実を招いてしまうのではないかと危惧してしまいます。
悪いものは排除するのではなく、最善の方法を考えていきながら、どんなものにも、どんな時にも感謝の思いは忘れてはならないと思います。
人を言葉で説得や非難等をして無理やり変えようとしても、変えることはできないけれど、相手の悪いところも、良いところも全てを受け入れて、自分自身の相手に対する見方を変えることが、一番の方法だと言います。
このことは人間関係に限ったことではないでしょう。
いつどんな時にも感謝をもって。
その一人ひとりの思いが、最善の現実をつくってくれるのだと、私は信じています。
by egaonotane
| 2011-04-03 01:24
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