観察するように
2011年 04月 27日
先日もたねの時に、どなたかが言われてました。
「まず親が変わらなければいけないのよね。わかってるんだけど」と。
不登校、引きこもり関連の本にも、そのように書かれていますし、先生方もそのように言われてます。
私も自分の経験から、その大切さを実感しています。
不登校である状態を少しずつ冷静に見ることができるようになってきた方たちは、「親が変わる」ことの必要性を自ら感じていかれます。
最近私が思うことは、親の私が変わらなければと、頭では漠然とはわかっていたとしても、「私」→「変わる」に至るプロセスを見落としているが故に、「わかってるんだけど」という言葉が後に続いていくように思います。
たねを開催させて頂いていて、自分の人生を大切にして、楽しんでいこう♪と言っても、不登校になりはじめたお子さんを持つ方たちに、それを伝えても、心には伝わらないのです。
当然なことですよね。
何よりもお子さんのことが心配なのですから。
この壁のようなものは何だろう?
どうしたらいいのだろう?と回を重ねるほどに湧いてくる疑問でした。
その間にあるプロセスをすっ飛ばして、自分を変えて楽しんでいこう♪ということの方に無理があるのだと気が付きました。
現状の気付きという点では、「変えなきゃ」と気付けたことは素晴らしい\(^O^)/
でも「変えなきゃ」だけでは、そんなに簡単に変わるはずがない。
息子が過去のことも含めて、私をやたらと責めてくる時期がありました。
それは私の中にある、息子に対する罪悪感を顕著に見せてくれるものだったのです。
自分が自分をどう思っているかということは、とても大切で、人間関係等に現れてきます。
自分を否定ばかりしていれば、まわりから否定ばかりされるような人間関係となります。
私の例から言えば、息子に罪悪感を感じているんだと自分が自分の感情を観察をするように、ただわかってあげることで、自分自身の変化となってきたと思います。
そこにいい悪いのジャッジは存在しませんから、ただ感じるだけなのです。
よく「手放す」などと表現します。
手放すとは、自分の中にあるものを認識してわかってあげるという本当は単純な作業なのかも知れません。理解というより、もっと軽い意味合いのように思います。
最近あった自分の経験から私はそう感じています。
子どもとの毎日の中で、自分の中にあるものが表面化した時に、見たくない部分も、自分の一部としてわかってあげる。
その繰り返しが自分を変えてくれるものだと思います。
それが「私」→「変わる」の「→」の部分で起こっていることです。
プロセスの部分です。
そのプロセスの部分で気付いたことを、どれだけ腑に落としているかもポイントです(^O^)/
「変えなきゃ」ではなくプロセスの部分を大切にすれば、自然に変わっていくものではないでしょうか。
あくまでも私が自分の経験上感じてきたことなので、本当かどうかはわかりません(;^_^A
by egaonotane
| 2011-04-27 01:21
| 不登校/引きこもり